住宅のあゆみと保存修復

価値ある明治建築を、
保存と修復を経て未来へつなぐ

元町にある基坂を函館山に向かって上った左手、函館の歴史的建造物「旧相馬家住宅」が優雅に佇んでいます。明治末期の大火の後、焼け出された人々の生活を支える目的も兼ねて建てられた、北海道屈指の豪商の本宅でした。
百年の時を経て、老朽化によって売りに出され、取り壊しの危機に直面。1人の市民が私財を投じて買取り、大規模な修復と丁寧な保存により華麗に蘇り、2018年には国の重要文化財に指定されました。

保存と修復

住宅年譜

1888年(明治21年)以前 初代 相馬哲平が現在地に宅地付土地を取得
1892~1897年(明治25~30年) 土蔵を有する住宅を新築
1907年(明治40年) 10,000戸以上を焼失した大火で、土蔵を残して住宅が全焼
1909年(明治42年) 母屋のうち土蔵から玄関と取次、仏間と隣の8畳間までの棟が完成
1910~1911年(明治43~44年) 母屋の座敷棟、応接室棟、便所風呂棟が完成
1921年(大正10年) 元町周辺が被災した大火で、母屋小屋組への飛び火を受ける
1989年(平成元年) 函館西部地区歴史的景観条例の重要伝統的建造物群保存地区に選定
1993年(平成5年) 土蔵と母屋の間の従棟住宅の増改築
函館市西部地区歴史的景観賞を受賞
2009年(平成21年) 母屋・同附属土蔵・門・板塀が伝統的建造物に、石垣が環境物件に決定
現所有者が土地建物を取得
2010年(平成22年) 母屋の一部老朽箇所の修理工事
旧相馬邸として一般公開開始
2011年(平成23年) 母屋の屋根瓦葺き替え(板金)、外壁補修
2012年(平成24年) 板塀修理
2013年(平成25年) 土蔵の外壁板張復元
2014~2015年(平成26~27年) 母屋・土蔵の屋根瓦葺き替え
2018年(平成30年) 国指定重要文化財に選定
2020年(令和2年) 板塀修理
2021年(令和3年) 土蔵と母屋の間の従棟住宅の屋根瓦葺等復元工事
2022年(令和4年)以降 母屋の屋根・庇瓦葺復元工事、ガラス戸保護工事

函館の礎を後世へ

旧相馬家住宅の保存と修復に対する、熱意と想い

函館出身で近所に住んでいた時期もありましたが、当時の相馬家の邸は我々庶民と別格な威厳と近寄りがたさを感じていました。70歳近くになり、その相馬家の邸が壊されるという話を聞き行ってみると、青春時代に畏怖の念を感じていた面影は一切なく、変わり果てた姿に愕然とした記憶があります。その後、何度も通っているうちに「自分の青年時代から憧れだった相馬哲平の屋敷を残したい!何か良い方策はないだろうか」と思うようになり、多くのご支援を受けて旧相馬家住宅の保存と修復をしてまいりました。 平成30(2018)年には国から重要文化財の指定を受けることになり、改めて厚く御礼申し上げます。

国指定重要文化財 旧相馬家住宅
代表 東出伸司

取り壊しの危機から
9年。重要文化財指定までの道のり

函館の大恩人である相馬家住宅の解体阻止のために購入

函館の大恩人である相馬家住宅の
解体阻止のために購入

初代 相馬哲平は、函館の経済、医療、教育、文化に多大な恩恵を与えた人物です。
バブル以降、函館の古民家は次々に取り壊され、ついに平成20(2008)年、相馬家の住宅も競売にかけられ解体の危機に。
現オーナーである東出は、解体回避ために市に掛け合ってみましたが事態は好転しません。
見納めに邸宅内を見せてもらうと、良質な建材を使用した廊下、床、柱には大きな損傷はなく、さらに素晴らしい意匠を凝らした欄間を見つけます。函館の大恩人の邸宅というだけでなく、文化財として類を見ない価値があると判断した東出は、解体阻止を目的に平成21(2009)年に購入へと至りました。

「旧相馬邸」の一般公開と「旧相馬邸保存会」の発足

「旧相馬邸」の一般公開

住宅取得後、邸内を掃除していた時のこと。何組かの観光客から「中を見ることは出来ますか?」と聞かれたことが転機となり、急遽半年後には「伝統的建造物 旧相馬邸」として開館することに。そもそも一般市民にとって、足を踏み入れることなど叶わない豪邸で、当初は価値を認識してくれる資産家を探す目論見が、観光客からの一言での大転換でした。「旧相馬邸」としての一般公開は、函館の貴重な観光資源となりえ、さらに老朽部分の修復や保存の支援にもつながることが視野に入ってきました。

旧相馬家住宅の保存活動をサポート「旧相馬邸保存会」

旧相馬家住宅の保存活動をサポート
「旧相馬邸保存会」

函館には、函館四天王(今井市右衛門・平田文右衛門・渡邊熊四郎・平塚時蔵)や高田屋嘉兵衛、岩船峰次郎など、多くの篤志家として名を馳せた商人が存在しており、初代 相馬哲平もまた函館の大功労者です。
その相馬哲平の邸宅の一般公開と修復や保存について新聞等で経緯を知った市民に、伝統的建造物を維持したいという機運や使命感が高まりました。旅行会社のツアーに組み込む提案、ガイドスタッフを紹介するなど、それぞれの方法で支援を模索するようになり、平成24(2012)年3月2日には、発起人12名による設立総会により「旧相馬邸保存会」が発足し、函館市民や企業様から年会費等による保存活動のサポートを担ってきました(2019年に解消)。

旧相馬邸保存会による支援活動実績

旧相馬邸保存会による支援活動実績

「旧相馬邸保存会」の結成は、邸の保存活動のサポート、とりわけ主屋と土蔵の屋根の修復支援が主な目的でした。
修復工事は、当時の手法・技術を再現した、瓦と屋根の修復を試みました。そのため、現存する瓦を可能な限り使用しても、現代の工事費用より2~3倍の費用に膨らむことになりました。
無事に工事が完了したのは、「旧相馬邸保存会」にご加入くださり、全国各地から寄せられたご支援が大きな支えとなりました。
※旧相馬邸保存会は、平成30(2018)年の重要文化財登録を契機に発展的に解消し、現在は「柊の会」としてご支援を募り、この文化財を後世につないでいくことを目標としております。
柊の会のご案内 https://www.kyusoumake.com/information/246.html

修復・保存に迫られた困難と重要文化財申請への芽生え

修復・保存に迫られた困難と
重要文化財申請への芽生え

重要文化財申請を意識し始めたのは、「旧相馬邸」を公開後の平成23 (2011)年頃のこと。
東日本大震災が起こり、主屋・土蔵の屋根瓦3500枚を交換する大規模修繕が必要になりました。同時に築後約110年の邸のため、耐震化など建物を保存するための補修も必須課題として浮上。
修繕にあたり、来館者に寄付瓦をお願いしたり、入館料を当てたり、伝統的建造物に市から指定を受けていたことで修繕補助は出ましたが、それでも大規模修繕には資金が足りません。
すでに建物購入や展示物の補修などで、約2億円の私財を拠出していたため、これ以上のことは困難です。
そのような時、東京工業大学名誉教授で建築史家の平井 聖氏からのアドバイスを契機に、重要文化財に向けての意識が芽生えました。

当時の技法にこだわった大規模修繕と重要文化財指定

当時の技法にこだわった
大規模修繕と重要文化財指定

先述の平井 聖氏による重要文化財指定へのアドバイスは、修復・保存の困難を打破する一筋の光明を与えました。その助言により、平成26(2014)年には建築当時の技法・工法にこだわった、屋根瓦の修繕が完了。そして最大の懸案事項が終結したことで、重要文化財申請を行いました。
函館は、すでに5件の伝統的建造物が重要文化財指定を受けております。そのような土地柄もあり文化庁職員が、函館に出向きやすい条件が整っていました。その影響もあってか、平成30(2018)年に重要文化財として旧相馬家住宅が国の指定を受けることになりました。
重要文化財指定になるということは、国から補修費用を折半してもらえるほか、宣伝効果も期待できます。しかし税金が使われる訳ですから、邸を維持する人間にとっては、ずさんな管理は許されないという強いご法度を課すことも意味します。
今後、多くの方からのご支援に感謝しつつ、国からの指導を受けながら残された修復作業を行い、函館の礎となった初代 相馬哲平の郷土報恩の精神を伝えてまいります。